第309飛行隊 C格納庫

卯月薫(うづき・かおる) アマチュア小説書き&ゲーム実況(はてなプロフに各URLあり〼)。マンガ、アニメ、映画、小説、ミリタリー、警察、TRPG、猫、ゲームなど。たまに自炊画像。  ※注意※  不適切なコメントは予告なしに削除する場合がありますのでご了承下さい。リアルの常識などは言うに及ばず、ネチケットもしっかり守りましょうw since 2005.12.22 当ブログはAmazonアフィリエイトを利用しています。

『グリズリー』

グリズリー

グリズリー

この小説については既に1度感想を書いている。が、残念ながらブログ移転の折に起きた偶発的な事故によってその大半が失われてしまった。しかも残っている分も今読み直すと微妙に記述が間違っているという有様だ。かと言って訂正する気はさらさらないし、当時の私がそれなりに考えて書いたエントリなので、これはこれでそのまま残しておこうと思う。
とはいえ今回の感想は前回の焼き増しというわけじゃない。確かこの小説は当時も程度の大小はあれ色々と衝撃を受けた1冊で、といっても再読に際し内容は6割ほど忘却してしまっていたために新鮮な気持ちで読む事ができた。その再読して受けた衝撃を記録しておこうというわけだ。
今回は文章や場面構成などの評論ではなく、純粋に感想を書こうと思う。ネタバレを含むので以下は隠す。

狂っているのはあんたたちが拠って立つ価値観だ。

前半も前半、第一章での折本の台詞。当時の私は恐らく気にも留めなかった台詞だと思うのだが、再読してみてこの台詞こそがこの小説の大きな象徴だと痛切に感じさせられた。この台詞を念頭に置きつつ読み進めていくと、とにかく何もかもが圧倒的な理解と現実感を以って頭の中に流れ込んでくる。
『グリズリー』はそれほど社会的なテーマを扱っているわけではないが、それでも戦後の日本が何を得、何を失い、我々日本人が何を見、何に蓋をし、日本だけではない世界が何を求め、何を踏みにじっているのかを登場人物達を通して考えさせられる。そこに共感する。それは端的に言えば普段、あるいは事あるごとに感じる世の中の矛盾、理不尽、不条理そのものだ。さて、ここで冒頭の台詞。果たして狂っているのはどちらだろう? 個人やマイノリティ、力なきものを蹂躙して富(これは作中に倣って金銭ではない)を独占し最大多数の最大幸福を追求する世界か。それともある程度の犠牲や抑圧や支配に目をつぶれば今日も平穏な世の中に間違っていると波風を立てる輩か。ちょっと話が大きくなったが、作中ではこの、ある意味人類の命題ともいえる事柄をガツンと突きつけられる。確かに折本は常軌(これはマジョリティの作った常識だが)を逸しているが、それでも彼に、彼の思想に多少なりとも感ずるところがあるのは、読み手の中に何かしらの“世の中はおかしい”という感覚があるが故だろう。
再読して久しぶりに目頭が熱くなった。ここしばらく読んだ本の中では珍しい事だ。こんなに熱い話だったとは。初めて読んだ時は中盤(田代警視長事件、SEALs殲滅事件周辺)とフィービとの心の交流場面がひたすら退屈だったのだが、今回は何ひとつうんざりせずに読めたし、また何ひとつ不要な場面もなかった。もっとも、これはひとえに受け取る側である私の変化だと思われる。何に重きを置いて(期待して)読んでいるのかが、おぼろな記憶ながらも初回と今回ではまったく違うと断言できるからだ。この本を手に入れた頃の私はアクション小説に飢えていた。そりゃあカテゴリーエラーだって話だ、『グリズリー』はアクション小説じゃないんだから。この小説はもっと胸の底を抉られるような、読後感は『花咲けるエリアルフォース』や『ブラックラグーン』の「双子編」と「日本編」を読了した時に近い。熱い話なのにやるせなさと虚脱感、生きている事が色褪せて感じられるくらいの強烈な感情の残照。完膚なきまでに打ちのめされた感覚。愛は世界なんて救わない、人の心を救う事はあっても。私の中でトップ3に入る良作だ。
ここからは完全に蛇足だが、その後の3人(城戸口、フィービ、清宮)の物語を読んでみたい。数か月とか1年単位のやつだ。特に城戸口と清宮は人生でこれ以上ないほどひと区切りついてしまったわけで、もしかしたら警察官を辞めたり、転属を願い出たり、あるいは誰かさんが山に登りだしたりという事もあるかもしれない。最終局面において折本の矜持と共鳴した城戸口なんかは毎年12/27、あるいは羅臼岳の日向ぼっこポイントで出所後の折本と初めて会話した3月某日に何か特別な事をするかもしれない。各々のエピローグは本文のあちこちに見られる解説調の場面ほど諸々種明かしがなされているわけではないので、どうしても本文の調子を引き継いでそんな風に考えてしまう。あえて詳細を書かずに読者に想像させるのが作者の狙いという可能性ももちろんある。そこを定まった形にして欲しいと願うのは無粋と言われれば無粋だろう。それは否定しない。ただ、彼ら3人があまりにも魅力的なキャラクターだったため、なんとかうまい方向へシフトし、それが無事軌道に乗った事を確認して安堵したかっただけなのだ。
とまあ、予想通り未読の人にはおおよそ意味不明、理解不能な内容になった。また時間が開いて再読した時には一体どんな感想を持つだろうか。違う何か、もしくは視点を感じたら再びエントリにするのだろうが、それが不安でもあり楽しみでもある。