第309飛行隊 C格納庫

卯月薫(うづき・かおる) アマチュア小説書き&ゲーム実況(はてなプロフに各URLあり〼)。マンガ、アニメ、映画、小説、ミリタリー、警察、TRPG、猫、ゲームなど。たまに自炊画像。  ※注意※  不適切なコメントは予告なしに削除する場合がありますのでご了承下さい。リアルの常識などは言うに及ばず、ネチケットもしっかり守りましょうw since 2005.12.22 当ブログはAmazonアフィリエイトを利用しています。

「天気の子」鑑賞

映画『天気の子』公式サイト
公開からすでに1ヶ月経っている……や、まあそのぶん劇場が混まずに助かるのだけど、ぼちぼち上映時間も減るかなという事で盆休み中の今日観てきた。今回はネタバレあり。
鑑賞1回目での感想。……えーとこれ監督が新海誠である必要あります? はっきり言ってそれが終始違和感だった。その中身はというととにかく新海誠らしくない(とは思えない)という事。もちろんクリエイターである以上、今まで自分が作ってきたものとは違うものを作りたいという意欲はどこかであるだろうし、今後もコンセプトを変えないつもりがほんの気まぐれで、という事はあるだろう。でもなあ、これが青春とはとてもなあ……ずっと想い合う男女の空間的時間的隔絶、あるいはそばにいるとしても気持ちのすれ違いを描いてきたのに、ここに来てテレビドラマっぽい社会派作品になってしまった気がする。セカイ系の流れで科学で説明できないという点では神話や伝承もそう変わらないからいいとして(ただしいきなりSFとは飲み込めない)、“なんの後ろ盾もない未成年が(3人だけで)都会で生きていこうともがく”というのはもはや青春ではない(あまつさえ児童相談所なんて現実的なワードも出てくるのだし)。家なき子っぽいな、と思わず感じてしまったくらいだ。
それに拍車をかけているのが、ひたすら“東京”という都会を舞台にしている事だ。風景描写の見事な新海誠をして都会と地方の風景のありようの差がある種魅力でもあるのだけど、その強みが今回はまったく活かされていない。都会といえば「言の葉の庭」も舞台は東京だが、こちらは無機質な人工物だらけの中での日常と、そんな都会にあって土や水、木々の香りの立ち込める新宿御苑内のうたかたの非日常の対比が、観る者の気持ちを惹きつけるからこそ人気があるのではないかと。
代わりに重点が置かれているのが人間ドラマだが、これにも失敗している。登場人物が多すぎるせいだろう。主人公とヒロインのストーリー以外に、映画そのもののストーリーを進めるのに必要な人物描写に割く尺が、上映時間の制限もあって足りていないように見える。顕著なのが須賀で、彼のとある行動が主人公がヒロインを救う大事な手助けになるのだが、彼がその行動に至る決定的な動機を匂わせるものはそこまでのシーンで一切見られず(背景の小道具等に隠されているとしたら1回の鑑賞で見つける自信はないが……)、彼の姪の短い台詞に表れているのみだ。そういう理由で前出のシーンはご都合主義としか映らず、観ていてかなりしらけた。もちろん台詞だけで納得できる向きもあるだろうが、私個人としては、人物描写が薄っぺらい=その人物の性格や価値観を把握できず、生きている人間として存在感がないと感じてしまう。なので社会派作品と書いたが、主人公にとって一番身近な大人である須賀が、映画中盤主人公を突き放した事に迷いつつも主張を曲げられず、しかし土壇場でいきなり改心するというのは説得力に欠ける面がある。
まとめ。良くない点ばかり列挙してきたけれど、もちろん良い点も気に入っているシーンもある。さりとて残念ながらその印象を上書きするほどの雑さが目につくのが実情だ。これは洋の東西を問わず映画監督なら誰にでもある事なのだけど、いかに著名な名監督でも事情はともあれ悪い意味でやらかす時がある。「天気の子」はまさにそれなのかもしれない。青春を主題に据えながらも社会的なテーマを扱う監督なら細田守というイメージで、それゆえ冒頭の“新海誠である必要が?”に帰着するんである。